障害について考えたこと
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It is true that the disabled need help,but more than that they need warmth and understanding.
A disabled girl said,“People seem to think of me as an ‘Invader’.
Anyone has problems.Just because some have more problems than others,that doesn’t make them so different or strange.”
参考文献
「アイテム130 新英文解釈」(高梨健吉 編著 美誠社)
訳
たしかに身体障害者は、周りの助けを必要とするがそれ以上に周囲の人の温かさと理解を必要とする。。
身体に障害を抱えている或る女の子が言った。
「周りの人が私のことを侵略者として見ているように思われる」と。
実は、障害は誰にでもある。
ただ他の人よりも抱えている課題や問題が多いからといって、異なっていて奇妙であるということにはならない。
私はこの英文を読んで随分考えさせられました。
この世の中には身体障害者であれ、精神障害者であれ、何らかの障害を抱えて周りの人の助けを必要としている人がたくさん存在します。
そういう人たちは、障害そのものを補うための周囲の手助け支援以上にもっと必要とし求めているものが存在するのです。
それは或る時は、その人を包む周囲の人の心の温もりであり、また或る時は、その人の障害ゆえの不便さや身体の苦痛、心の苦悶に共感し、相手の苦しみを理解しようと努める心なのです。
この文章に登場する或る女の子が自分の目に映る社会や人々を恐怖の眼差しで見つめ、自分のことを侵略者や侵入者として眺めているように感じられるという発言は問題の本質、核心を衝いていて私に深く考えさせました。
実は障害は誰にでもあるのです。
例えば、
ある人は、速く走ることが苦手。
ある人は、文章をすらすらと読むことが苦手。
ある人は、文字を丁寧に書くことが苦手。
ある人は、数学的・論理的な思考をすることが苦手。
ある人は、英単語や漢字を記憶することが苦手。
ある人は、ピアノを上手に弾くことが苦手。
ある人は、人と円滑に意志の疎通をはかることが苦手。
ある人は、粘土を捏ねて創造的な作品を作ることが苦手。
ある人は、肩の力を抜いて歌を歌うことが苦手。
ある人は、ボールを遠くまで投げることが苦手。
ある人は、料理や裁縫、部屋の片づけをすることが苦手。
ある人は、人の気持ちを読み取ることが苦手。
・・・
このように誰もが苦手なもの、不得手なものがあるのです。
それを障害と呼ぶ人もいれば障害と呼ばない人もいるでしょう。
不得手なものを障害と呼ぶかどうかは実は大きな問題ではないのです。
誰にでも平均より劣っている分野は必ず存在します。
何らかの事情でその障害の程度が平均的な人よりわずかばかり多いか少ないかただそれだけの問題に過ぎないのです。
つまり健常者、障害者という概念は、言葉の上では存在しても実はそれほど意味を持ちません。
なぜならばそもそもここからが健常者でありここからは障害者であるという線引きは出来ないからです。
医学では便宜上、障害に名前をつける場合はあるでしょうがそれすらも明らかな線引きなどは出来ようはずもありません。
どちらとも言えない広いグレーゾーンが存在するでしょうから。
障害名を付ける意義は平均より明らかにその程度が大きい場合、その人たちに障害(不得手なこと)を認識してもらい生活上の不便を少しでも取り除くことにあります。
本当にいろんなことを私に考えさせてくれる文章でした。
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