2011年11月2日水曜日

為になるお話

フリージャーナリストの池上彰さんの著作「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」(文春新書)の中で、池上彰さんと対談している養老孟司さんが大変興味深いお話をされている。
皆様にも紹介します。

数年前、タクシーに乗ったら、運転手さんが同僚の葬式に行った時の話をする。お経が終わり、お坊さんがそばを通ったんで、その運転手さんはこう聞いたそうです。「和尚、人って死んだらどうなるんでしょうか。」するとお坊さんがキッとにらんで、「死んだらおしめえよ」と言い返したと(笑)。

和尚さんも、その話を披露する養老孟司さんもなんと素晴らしい感覚の持ち主なのでしょう。

そういえば何年か前、養老孟司先生の講演会に参加したとき、興味深いお話をされていたのでこちらも紹介します。

自殺の名所である山梨県の富士山の北西に位置する原野、青木ヶ原樹海に、ある男性が行った。
自殺する目的で。
それでいざ自殺に踏み切ろうと比較的丈夫そうに見える低木の枝に縄を引っかけ、首を入れてぶら下がり、死のうとしたところ、運悪く(運良く!?)その男性の体重に耐えきれず太い枝がどさっと折れて男性は強烈に尻餅を着いてしまった。
その時、自殺遂行中の男性が驚いて発した言葉。

「ああ~びっくりした。危ねえ危ねえ。危うく死ぬとこだった。」

もちろん養老孟司先生がこのお話をされる時点でこの自殺未遂の男性は、この予想外の出来事がきっかけで気を変えて生き続けることにしたのだと理解できる。
養老孟司先生は、頭の中だけで想像する、空想的、観念的な死と、真に迫った本当の意味でのリアルな死というものの相違について適切かつ具体的な例を引き合いに我々に考えるヒントを与えてくれたのだろう。


貴重な時間を割いてブログを読んでくださっている方、ありがとうございます。
気が向いたら下記のコメント欄から意見や感想、論評を下さい。
これからも時間が許す範囲でブログを更新していきますので、今後とも宜しくお願いします。

0 件のコメント:

コメントを投稿