2011年10月29日土曜日

手話の学校授業導入の提言

言語体系が成立する以前の人類にとって身振り手振りのジェスチャーは、社会生活を営む上で極めて大切なコミュニケーション手段のひとつだったんだろうと考えたこともきっかけのひとつで手話に興味を抱くこととなった。
手話サークルに参加したことがきっかけで長年にわたり聾啞者が非人間的な差別や迫害、苦悩を経験してきたことを知った。
何よりも会に参加してショックだったのは、徐々に改善してきているとはいえ、今現在でも聾啞者にとってこの社会はあまりにも住みづらい制約や差別、無駄な規則や社会的弱者に対する無関心で満たされているという事実だ。
知ってしまうとこの事実は悲しい。
そこで生意気にもわたしなりに問題点と改善策を考えてみた。
行政はサークルごとに高度な手話通訳者を育成し、その数を増やすことに力を注いでいます。
それ自体は決して悪いことではないのですが限られた集団の中から高度な手話通訳者の数を増やすこと以上に能力の如何を問わず巷で手話をする人が増えていくようなシステムを構築していくことのほうが大切に思えます。
そのためには小中高大学の授業カリキュラムの中に、ほんの短時間でもいいから手話や聾啞者、その歴史に学習時間を割けばいいのではと思うのです。学年に合わせて身振り手振りをつかってどこまで意思の疎通が出来るかのジェスチャーゲームや初歩的な手話と口話を駆使していったいどこまで聾啞者と会話が可能なのかを肌で感じる体験、「ゆずり葉」のような感動的な映画や秀逸なる漫画「わが指のオーケストラ」等の学習を通じて関心を高めていくことが大切だと思うのです。
小さいころから短時間でもそのような経験を積み重ねてくると自分たちとは関係のない世界ではないのだと気付くし、聴覚障碍者との垣根も低くなり差別や無関心も減ると思う。
大切なのは健聴者と聴覚障碍者との境界は極めて曖昧で誰もが将来、潜在的な聴覚障碍者であるという事実を知ることだと思う。
実現すると多くの聴覚障碍者にとってこの社会は今よりずっと住み良くなると思う。
なんらかの事情やきっかけで手話に興味を持ったほんの一握りの人だけが手話に接し、また高い手話能力を発揮しても聾啞者が住み良い社会を実現するには物足りない気がしてならない。
手話がたとえメジャーにならなくても多くの人が手話に触れ、興味を持ち、理解し、コミュニケーション手段の一つとして手話が当たり前に認知される世の中になればいいと思う。
繰り返すが、学校教育でコミュニケーション手段として手話を取り上げるのは極めて有効かつ有意義であると思う。

決して無駄ではないと思う。
英語その他の言語が意思を伝え合うコミュニケーション手段として肝要であるように身振り手振りを伴った手話も生き生きとしたコミュニケーション手段として大切だと思う。
手話もそうだが全身を使ってなんとか自分の思いを伝えようとする身振り手振りの表現動作は、ある意味とても原始的なコミュニケーション手段だと思う。
だからこそ我々が、英語等の外国語を習得し熟達していく上でも同時並行的な手話学習は大変効果が期待できると確信する。
特に、学習経験は長くそれなりに英語知識はあるのに言語に頼り過ぎ間違いを恐れて外国人との会話に物怖じする傾向のある日本人には、手話学習の導入は効果があると思う。
高校入試の合格発表の日のエピソード

それは26年前。高校入試の合格発表の日。どきどきしながら朝早く自転車で学校へと向かった。自分の受験番号を空で唱えながら心臓が口から飛び出るほど緊張感いっぱいだった。校庭の一角には多くの受験生が集まり、合格用紙の張り出しを今か今かと待っていた。ポケットはいつでも確認できるよう自分の受験番号を書きなぐったメモ用紙を忍ばせていた。わたしは張りつめたその空気に耐えられず、遠い景色を見やりながら楽しいことを考えたりして発表の時間が来るのを待っていた。漸く掲示担当の係員が現れておもむろに番号の記された大きな用紙を掲示板に張り出し始めた。一斉にざわつき始める。丸まった用紙をゆっくりと広げていくため思いのほか時間がかかる。気持ちは急くがあせっても仕方がない。受験生の中には番号確認が早い者もいて歓声があがり始める。いろんな数字が飛び込んでくる。どの受験生も必死で自分の番号を探してる。やっと用紙がきちんと張り出され、たくさんの数字の中から自分の記憶した番号を探し出す。「あった!」心の中で叫ぶ。合格者はしっかりと番号を確認したあと必要書類をもらいに近くのテーブルへと移動。喜びと興奮の中、長い列にわたしも並び、順番が来たら受験番号と氏名を名乗り出て書類をいただく。そのとき番号に何か違和感が?!さっき覚えた番号とは違う!!?。顔面蒼白になった。まずい!恐怖の面持ちでもう一度掲示板に向かう。そこにはもうほとんど受験生はいなかった。確認したばかりの正しい受験番号を恐る恐る探す。 「あった!」 本当はほっとしたのとちゃんと合格出来ていたのとで大いに喜びを爆発させたい。でもどう見ても合格者に配られる書類を手にした後で、しかもこのタイミングでは恰好が悪すぎる。下手な喜びようをしたら、こちらの事情を見透かされるようで恥ずかしくもある。平静を装った。自転車で家路を急ぐ。途中急な坂道があり自転車を降りてゆっくりと上る。しかしあまりにもなんだか妙な気分。この変な気分は不完全燃焼のせいだ。やはり家に帰って家族に報告する前に一度この喜びを自分一人で噛みしめ味わっておいたほうがいいのでは!!坂の途中で足を止め、ぐるっと後ろを振り返り、男体山を仰ぎながら「やったー!」と雄叫びをあげ一人ガッツポーズ!これで16歳の喜びの儀式は終わった。

2011年10月24日月曜日

English Joke(2)

昨年自分で作成したOriginal English Jokeをもうひとつ。
去年、公立学校で、あるALT男性が日本で知り合った別のALT女性と契約終了と同時に仲良く二人で半年間、亜細亜、ヨーロッパ旅行に出かけると言うので即興で作ってみました。
Aが発音が苦手な日本人つまり私、BがALTという設定です。


A: “Do you like travel with your girlfriend?

B: “Nope.”

A: ??“But you go to Asia and Europe with your girlfriend?

B: “Yeah. Half a year.

A: “Yet,you do not like travel with your steady?”

B: “Sure. I do not.”

A: “If so,why do you go to global travel with her?”

B: “Because I have no trouble with her.”

いかがでしたか?


くだらなくてすみません(^@^


   
   
English Joke(1)


去年自分で作ってみたOriginal English Jokeを披露します。

まずは一つ目です。

Soon the party will be held.
There are attractive ladies and charming gentlemen.
All the participants hope that they want to find out good boyfriends or girlfriends.
Just before the party,Bruce and Obama go to the restroom to make a good plan and execute tactics.
They do not know each other.
But throuth considerate conversation,they become intimate.
Bruce begins to have feelings to confide his secret to Obama.
He says,“To tell you the truth,I wear a wig.
I am totally bald. I want you not to say anybody.”
Obama says,“Of course not. I will keep a promise.”
They go back to the party place where there are beautiful ladies waiting for their coming.
The party starts.
The party warms up gradually.
Obama goes to the Bruce's next seat and makes a sign with the eye.
In front of all the ladies,he says,“Bruce is a good guy.
He has courage to announce his defect.
I like him because he is bold.”
 
俳句に挑戦。

東日本大震災で被災された方に俳句で思いを届けたい、少しでも被災者の気持ちに寄り添いたいと先日、下手糞ながら俳句に挑戦してみました。

○ 鈴虫の音に癒される鎮魂歌

解説  秋この時期、羽をすり合わせて鈴を振るようにリインリインと鳴く鈴虫の音が東北で亡くなった人の静かなる魂の声に聴こえて癒されるさまを謳った。


○ 田圃道真っ赤に染める彼岸花

解説  田舎の田圃道で彼岸花が意思を持ってここに咲いているよと死に別れた家族、仲間に訴えかけ告げるように鮮明に赤々と咲いているさまを謳った。

2011年10月20日木曜日

一期一会

一期一会を広辞苑で引くと生涯にただ一度まみえること、一生に一度限りであることとある。
人との出会いなどの機会を大切にすることの例えだ。


最近頓に思う。
いったい生きている間に何人の人と巡り合い、心を通わせることができるのだろうと。
仮に、生前その数を数えることが可能で、その数字を見てしまうとあまりの数の少なさにがっかりしてしまうんじゃないかな。


ケツメイシの「出会いは成長の種」という曲の歌詞に


思えば これまで生きてきて
俺は何人の人に出会えたろう?
願ったような出会いだろうか。
良いヤツばかりでないだろう。
思えばこれだけ生きてきて
俺は何人の人に出会ったろう?
描いたような出会いだろうか?
嫌なヤツばかりでないだろう。
・・・・・
とあるがまったくその通りだなと思う。


70億近い世界人口、1億2800万ほどの日本の人口のうち、ほんのわずかであることだけは確かだ。


でもだからこそほんの微々たる数しか会えない出会いの中、自分にとってかけがえのない人との出会いを大切にしていきたいとつくづく思う。